偉大な先輩の“側”の話
明けましておめでとうございます。一ヶ月ぶりに投稿します。もう2016年ということに驚いている方も多いと思います。今年もいい年になることを祈るとともに、自分にとって今年は人生の転換期でもあると思っています。温かく見守ってもらえれば幸いです。
さて、新年最初に何を書こうかと悩みましたが、やはり一つしかないでしょう。年越しは大学の先輩方と飲んで過ごしました。その中の偉大な先輩である柴田裕基という人から今年早々偉大な言葉をもらいました。
自分のモットーとして「面白い話をたくさんできたら自分の人生は楽しいといえる」ということを掲げて生きています。ジャンル問わずに色々な話をできるように日々アンテナを張り、体を張り、生きていくように心がけていましたが、偉大な先輩により少し考えさせられることがありました。
居酒屋で社会人1年目と2年目の先輩達と新年ということもあり給料などのお金のことを話していたら、柴田裕基が「それって“側”じゃない?」とつぶやいた。俺らは完全に意味が分からなかった。柴田裕基は話を“本質”と“側”で区別するらしい。後に話を聞いていると彼からしたらお金の話は本質を捉えていない“側”の話らしい。そもそも何が“本質”で何が“側”なのか、“側”とは何なのかまったくの説明なしに彼は話を進めた。俺の理解では“本質”の話は何をしているか・何をしたいかというそもそもの話であり、“側”の話はそもそものことに付随して生まれる話だと思う。お金や上司の愚痴などが“側”の話であろう。彼は学生の時に散々“側”の話をしていたくせに、今は成長してしまい“本質”の話を好んでする。人は成長するらしい。そして持論を展開できるようになるらしい。少し“本質”の話をするようにその場で頑張ったが、柴田裕基には勝てない。しかも“本質”っぽいことを話すと“本質”かどうかを採点される。まだまだ“本質”の人間になれていないらしい。
だから俺は思った。“本質”の話をたくさんできたら楽しい人生の上をいける気がする。彼いわく“側”の人間は溢れ返っているらしい。今年の目標は柴田裕基のいう“本質”の人間になること。この目標も彼からしたら“側”なのかもしれない。
そのためには何をしていて、どうしたいのかをつめる1年にしていきたい。考えて、行動して、発信する。
ただ問題はある。“本質”ばかりだと話が弾まない。やっぱり“側”の話が面白いのもあるんだよね。俺は“側”の裕基が好きだ。
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