母なる海に理由はないのか。
小学校の時にある本を読み聞かされた。7つ子の兄弟の話で、7人じょ兄弟それぞれがある特技をもっている。その話のオープニングが長男の事故で始まる。長男が近所の小さな子と海に釣りに行った。全然魚が釣れないので小さい子は泣き出してしまった。長男はかわいそうに思って、海の水をすべて飲み干して魚を手で掴めるようにしてあげた。小さい子は喜んで魚を拾い上げていったが、夢中になってどっかへ行ってしまった。長男はお腹に貯めた海水を吐き出したくなったが、小さい子がどこにいるのかわからない。帰ったかと思って水をすべて吐き出すと、小さい子はまだ海にいて長男はその子を溺死させてしまった。
今インドネシアの果てしない海をぼーっと眺めながらこの話を思い出した。もう10年以上も前の話なのにまだ覚えていた。地球の7割が海だと言われていて、自分たちは海があることが当たり前で、海がないことなんて考えたことがない。この宇宙には数えきれない程の惑星があり、まだ確認はできていないが、数えきれないほどの生命体もおそらくいるだろう。その数えきれない惑星の1つが地球で、この地球から海がなくなったら地球はどうなるんだろう。何が地球の存在価値になるんだろう。海があるから地球なのかもしれない。母なる海っていう意味が少し分かった気がする。
自分の他にこのビーチには漁師のおっちゃん2人しかいない。波の音がいつもよりよく耳に入ってくる。毎回音は同じ。この地球が誕生した時からおそらく波をうっていただろう。でも、波ってなんのためにあるのだろう。この何のためにあるのだろうって疑問もおかしい。こういう思考をするのは人間だけで、海からしたらなんて変なことを考えてるんだって思われるだろう。意味なんてないんだろう。何にしても意味があるって思うけど、これに関しては本当に意味がなさそう。専門家とかに聞けばあるんだろうけど、それが100%そうかと考えれば、違うかもしれない。
大きな玉の中に空気があって、海があって、陸がある。不思議。土と空気と水を手の中で包んでもこぼれ出る。透明のガラスボールの中に入れても水と土がボールの表面に着かずに浮いていることはない。なんで地球のなかでやっているのに地球みたいにいかないんだろう。当たり前のことだけど、理由はなんだ。当たり前って思っていることほど難しい。難しいから当たり前って思いたくなる。
自分は神を信じていない。現実主義だから神はいないと思っている。当たり前のように思っている。波が起こるのが当たり前のように神がいないと思っている。いつもイスラムの人と話すとき、神がいない当たり前さを説明するのが大変。当たり前だと思ってるから説明すると自分でもややこしくなる。でも、波がいきなり止む可能性だってある。その可能性と同じぐらい、自分が当たり前だと思っていたことがいきなり当たり前じゃなくなることがある。
1人でビーチに座りながらずっとこんなことを考えていたら時間がどんどん経ち、少し歩こうと思い、ビーチ沿いに歩いていったら、日本人の友達に偶然出くわした。すごいびっくりしたけど、波は相変わらず同じ音だった。
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