おいなりさんは格好わるいぞ:いじめ問題

 大阪府でいじめに対する対策がなされているそうです。去年のニュース番組を見てそれを知りました。とても面白い対策でした。政府が真面目にいじめの問題に取り組むのは大切なことです。その大阪府の政策というものは、いじめをしている生徒を5段階にレベル分けするというものです。レベル5が一番ひどいいじめっこで、犯罪レベルに達する生徒をレベル5とします。レベル5に見なされたいじめっ子たちは自分のクラスから追い出されて、特別教室に移されての授業になります。そこで彼らの生活態度を修正する授業が行われるそうです。

 とても面白い対策ですが、この対策は小学生や中学生の特徴を見抜いていないものだと指摘されていました。このくらいの年の子供たちは悪いことをするのがカッコいいと思い込んでいます。なので、このレベル分けは一見子供にいじめの度合いを露見させているようですが、このレベル分けは子供たちに悪さのレベルを分かりやすく提示して、いじめっ子がどんな悪いことをしているか、周りに示すチャンスを与えてしまっているのです。「俺はレベル4までいったぜー」みたいな感じで、生徒の間で“かっこよさ”の物差しになってしまいます。レベル5に達しなかったらセーフだと勘違いさせてしまいかねません。

 松本人志がこの対策に対して、レベルという言葉を使うから子供たちはなんか勘違いしてしまうんだと言っていました。だからださい言葉でランク付けをするべきだと言い、レベル5の生徒は“おいなりさん”にすればいいのにって言ってました。さすがお笑いのプロフェッショナル。言葉のチョイスも違います。

 いじめは年々ひどくなっている傾向があると同時に、なくならない問題の1つです。なぜなくならないか。なくならないものだからです。ただそれだけです。年々いじめが深刻化しているように見えるのはメディアに取りあげられるようになったからとかの外的要因があるだけだと思います。そうやってメディアに取りあげられるようになると、さらにいじめを煽ってしまう可能性があります。

 どうすればいじめがなくなるのか。なくなりはしないと思います。しかし、いじめの枠を縮めればいじめというものの本質は変わりませんが、子供たちの意識は変わるんではないでしょうか。少しのことがいじめだと取りあげられすぎている気がします。いじめの枠を縮めることをまずしないと、いじめというものはする側とされる側があってのものなので、認識も違ってきます。たまに、いじめだとは思ってなかったと加害者側が言いますが、それは当たり前のことです。認識の違いです。少しのことでいじめだと思い過ぎなんです。いじめは恋と同じかもしれませんね。少しのことでもしかしてと思ってしまう。片方はそんなつもりないのに。

 昨日、ブラック部活の実態という記事を見ました。顧問からの過剰な暴言などに耐えられない生徒が増えている状況を取りあげていました。ただただ遊びでやってんだったらやめればいいじゃんって思いました。自分がやりたくて部活してるんだから、文句いうなと。嫌ならやめればいい。メディアが取りあげ過ぎなんですよ。こんな当たり前のことを大げさに取りあげている暇があったら、マスかいとけぼけって感じですよ。へんな記事書いて刺激するよりはバナナいじっててもらった方がいいんですよ。

 

Seiru Sato

Don't settle. 考え、行動し、発信する。 面白い話をたくさん出来た人生は楽しい人生と言える。

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