来世はミトコンドリア
インドネシアで毎日目にするけど、まだ食べたことの無いものがある。leleである。日本語でいうところの“なまず”。なまずを食べるのはちょっと抵抗があってまだ食べれていないです。見た目もヤバいのに家の裏とかで養殖されているのを見るとさらに食べる気を失う。青汁のように緑に濁っていて、ミトコンドリアの量大丈夫かこれっていうくらい汚い水槽にナマズがうじゃうじゃ入ってる。ミトコンドリア養殖してんのか、なまず養殖してんのか分からない。食ってみろよっていつも強要されるけど、タバコとなまずは手を出さないと決めた。体に悪すぎる。
もうこれは定番と言うか、誰しもが1度は友達とファミレスなどで話したことのある話題だと思いますけど、生まれ変わったら何になりたいですか?生まれ変わりは信じていない人もたくさんいると思います。自分もそうです。でも、小さいときは少なくともまだ生まれ変わりを信じていたんじゃないでしょうか。小さい時にすでに死んだ後を考えているのも滑稽ですけどね。もうちょっと明るく今の世だけを考えて生きてもいいんじゃないのって、小さい子に関しては思いますね。
自分の勝手な思い込みですけど、人間には生まれ変われないと思っています。2度目の人間はずるいでしょ。なんとなくのイメージです。自分も小さい時に、生まれ変わったら何になりたいか考えていました。水族館の魚でした。できたら中くらいの魚。水族館の魚ってすげー安全な生活送ってると思いませんか。小さい時によく水族館に家族で行っていましたが、こんな安全な暮らしをしているのは、この世でこいつらだけじゃないかなって思ってました。毎日時間になれば餌がふってきて、あとは適当に泳いでればいい。水槽の中で子供を産めば、掲示板に子供の写真が貼り出されて、生まれてすぐ人気者になれる。海にいたら毎日、外敵から身を守ってびくびくしながら生きて行かなきゃいけなかったものを、水族館の水槽ではそんなこと気にしなくて良い。体に食べていいですよって書いといても襲ってくるものはいない。なんて素敵な環境なんだって思っていました。本気で来世は水族館の魚になろうと思っていました。だから、4歳からスウィミングスクールに通っていて、泳ぎだけはまじで頑張りました。小3で中学生のグループに混じって泳いでいました。一生懸命泳ぎました。来世に備えて。小さい時に思っていただけです。今は思っていません。
今考えると、そんなつまんない来世を送ろうと考えていた幼き自分に幻滅します。今は水族館の魚になろうなんて考えていません。今は来世なんてないと考えています。前にも少し言いましたが、私たちが今意識している“私”という第一印象は脳が作り出した像に過ぎません。だから魂もないです。でもこれは、現実主義の自分が考えているだけであって、もしかしたら本当に来世はあるかもしれません。こればかりは死んでからでないと分かりようがありません。だから、高校生の時に友達にファミレスで来世があるかどうか俺が確かめてくるという話をしたことがあります。「もし、俺が死んだら2週間待て。2週間経ったらお前らの前に来世の姿になって出てくるから。なんで2週間かというと、おそらく来世では何になるかの手続きがある。どんなに遅い日本のパスポート発行でも手続きに2週間はかからないから、天国の手続きも2週間かからないとみてる。そんで手続きが終わったら、お前らの前にゴキブリになってでてくる。人の注意を引けて、なおかつ出現率の高いゴキブリでいく。そんでお前らの前で右前の手をクイクイして俺だよっていう合図を出す。だから、俺が死んでから2週間後にゴキブリ見ても殺すなよ。そんでその後に東大に“来世はあります”と報告しろ。」俺はそう言いました。しかし、話し終わってバイバイした後にある問題に気づきました。俺の友達はまじで虫が大嫌いでした。完全に殺されます。そのままファミレスで急死しなくて良かったと思いました。生まれ変わっても即行殺されるところでした。
まあ、来世はないと信じています。てか、そのほうが良いと思います。来世があるんだから今そんなに頑張らなくていいかとか思ってしまうかもしれません。現世を思い切って楽しむためにも、来世があるなんていう浅はかな望みは捨てましょう。あったらラッキーです。でも、無くて当然です。ちなみに来世何になりたいか今聞かれたら、水槽のミトコンドリアです。ただ緑でいればいい。そんな楽な世界ないでしょう。
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